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金沢家庭裁判所 昭和51年(少)665号 決定 1977年3月18日

少年 T・O(昭三七・五・一三生)

主文

この事件(但し、昭和五一年少第六六五号事件を除く)を石川県○○児童相談所長に送致する。

少年に対し強制的措置をとることを許可しない。

理由

1  審判に付すべき事由

(イ)  昭和五一年少第六六五号事件(強制措置許可申請事件)について

同事件記録中、石川県○○児童相談所長作成の送致書記載の強制的措置を必要とする事由

(ロ)  同第六五一号事件(窃盗保護事件)について

同事件記録中、司法警察員作成の少年事件送致書記載の犯罪事実

(ハ)  同第六五三号事件(窃盗、道路交通法違反保護事件)について

同事件記録中、司法警察員作成の少年事件送致書記載の犯罪事実(但し、第一及び第三の事実のみ)

(ニ)  同第六五九号事件(窃盗保護事件)について

同事件記録中、司法警察員作成の少年事件送致書記載の犯罪事実

(ホ)  同第九一三号事件(窃盗保護事件)について

同事件記録中、司法警察員作成の少年事件送致書記載の犯罪事実(但し、第一の事実のみ)

2  主文決定の理由

(1)  少年は昭和三七年五月一三日石川県羽咋郡○○町○○××番地において父T・D、母T・K子の長男として出生し同郡○○町○○で生育したが、昭和三八年三月一八日父が事故死し、昭和四一年四月頃母とも生別(祖父母と母との折合が悪かつたため)し、以後はT家の後継者として専ら祖父母に養育されたが、祖父母は少年を可愛く思うあまり、全く放任的に育てたため基本的生活習慣が身につかず、放恣的性格が形成された。そのうえ、昭和四七年四月祖父母が老齢化したのを機に叔父夫婦が子を連れて少年宅に同居しはじめた頃から、少年が叔父の実子と差別されていると曲解し、実子に対する嫉妬心や叔父に対する憎悪感を募らせ、祖母の所持金を無断で持ち出したり、昭和四八年九月頃(小学校五年生)から登校を拒否するなどの問題行動を起すに至つた。

(2)  そのため、同年九月二〇日石川県○○市児童相談所に通告され、昭和四九年二月一六日養護施設である○○園(○○市所在)への入所措置を受けるとともに○○市立○○小学校に転校したが、学力が低劣であるため授業についていけず、また故郷への郷愁もあつてしばしば学校から逃走し、○○町の自宅に帰るなどの行動がみられた。そこで、同年四月から○○市立○○小学校の特殊学級に編入されたが、その後は学校から逃走することもなく、学習意欲の向上も窺えたので中学校進学を機に普通学級に復帰させられることになり、昭和五〇年四月○○市立○○中学校に入学した。

ところが、授業についていけないことから再び学校不適応をおこし、同月二四日頃、五月六日頃の再度にわたり学校から逃走し、自転車や菓子類を窃取するなどの非行を行なつた。○○園側は少年を特殊学級に復帰させたうえ、同園において引続き補導することを望んでいたが、教育委員会では少年の知能そのものは精薄にあたらないとして特殊学級への編入が否定された。そのため、○○児意相談所は少年を○○園において補導することは困難であるとして措置を変更し同年七月一六日教護院である石川県○○○○○○センターに入所させた。

(3)  しかし早くも同月一七日同院を逃走したのを初めとして、同月一九日、同年八月一日と逃走を重ね、逃走中現金、自転車等を窃取し、その後暫時落ち着きをみせていたものの、昭和五一年に入るや一月六日、三月一六日と逃走を重ねた。少年はその都度保護され、同院指導員から注意を受けたにも拘らず、同年五月二八日再び逃走し、逃走中石川県河北郡○○町所在の国鉄○○駅自転車置場から自転車一台を窃取し(本件-第六五九号事件)、富山県で保護されたが、同年六月一一日Aと共に同院から逃走し、石川県河北郡○○町や○○市内に駐車中の普通自動事を窃取し両名で乗り廻したほか、付近の店舗から衣類等を窃取した(本件-第九一三号事件)。さらに、同月二一日にも単独で同院から逃走し、逃走中○○町及び○○市内において普通自動車等を窃取した(本件-第六五一号事件)。このときも補導され、同院に復帰したものの、同年七月二〇日再び同院を逃走し、前日から既に逃走していたAと共に富山県○○市内において普通貨物自動車を窃取し、同県○○市内においても軽四輪自動車を窃取し、さらに新潟県西頸城郡○○町においてAが単独で窃取した普通自動車を少年においても無免許で運転し逃走を続けたが同日新潟県○○警察署員に逮捕されたものである(本件-第六五三号、第九一三号事件)。

(4)  上記経緯のもと、石川県○○児童相談所長は石川県○○○○○○センターにおいて少年を指導することは困難であるとして同年七月二八日当庁(事件受理は当庁○○支部、同年八月三日回付決定あり)に対し少年法第六条第三項による強制的措置の許可申請(処遇意見-国立教護院武蔵野学院収容)をした(第六六五号事件)。

そこで、当裁判所は第六五一号、第六五三号、第六五九号、第六六五号各事件を併合し審理した結果、同年八月一九日少年を家庭裁判所調査官の試験観察に付し、少年の補導を身柄付で○○園園長○藤○夫に委託する旨決定した。

その理由は次の点にあつた。

すなわち、確かに右時点においてはもはや前記○○○○センターでの指導は困難であると思われた。しかし、直ちに強制的措置をとることには、少年の生育歴、性格、犯罪傾向、養護施設から教護院への措置変更の経緯など諸般の事情に鑑みるにどうしても払拭しえない疑問が残つた。それは、少年に対し安住の場と、適当な学校教育の場を与えればなお社会内で処遇することも可能なのではないかという点であつた。そこでその可能性を追求したところ、少年は○○園の○田指導員に対し母親に対するのと似た感情を抱いており、同園であれば逃走しない旨誓約し、事後の更生を誓つたので、○○園園長に補導を依頼したところ承諾を得、次いで○○市教育委員会に対し、少年を特殊学級に編入されたい旨協力依頼したところ、同委員会においてその旨決定された(但し、当初は○○中学校に在籍し、試験的に○○中学校特殊学級において観察、指導を受けたのち、同年一〇月二〇日正式に学籍が○○中学校に変更された)。

(5)  その後昭和五二年三月一八日まで約七か月間にわたり経過を観察したところ、昭和五一年九月七日、八日の両日普通学級生徒とトラブルを起し、三日間の登校禁止措置を受け、また同年一二月二二日校内で級友とふざけて遊ぶうち誤まつて彫刻刀で級友を傷つけ(軽傷)、教師から厳重に注意されたため、少年院に行かなければならないものと絶望し、一夜を友人宅で過ごした(翌日自発的に家庭裁判所調査官のもとに出頭しことなきを得た)ほかは学校内でもさしたる問題を起こさず、また○○園内の生活態度も良好であり、安定化しつつある。

以上のような少年の変化の原因として、少年自身の努力(殊に誤ちを犯した後素直に反省し、指導者に内心を吐露できるようになつたことは評価に値する)もさることながら、限りなき愛情をもつて少年に接してきた○○園園長、指導員の尽力、再度の問題行動に対し暖かい眼で見守つた○○中学校校長、教師の協力、○○園、中学校各指導者と少年の意思疎通、連絡調整などの面における家庭裁判所調査官の活動、その他児童相談所、教育委員会等関係者の側面からの援助などを特筆すべきであろう。

(6)  以上の状況に鑑みるに少年自身に急激な変化が生ずる虞れは少ないものと思われるので、試験観察を終結し、少年の心情にひと区切りをつけることが少年の健全育成の点から相当であると思料される。

ただ、現時点では未だ保護者である叔父夫婦のもとに帰すのは相当でなく、尚相当期間○○園に入所させて少年の更生意欲の定着化、人格の高揚をはかるのが妥当である。

3  結論

よつて、少年法第一八条第一項、少年審判規則第二三条を適用して、この事件(但し、第六六五号事件を除く)を石川県○○児童相談所長に送致し、児童福祉法上の措置に委ねることとし、強制的措置許可申請(第六六五号事件)については、その必要がないと認めるのでこれを許可しないこととする。

(裁判官 池田和人)

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